娘が楽になる方法。

これが、なかなか難しい。親の私から過干渉、過保護をやめる決意です。

16年間やってきた事ですからね。

娘も依存してるところが多々あるわけだから共依存が成り立つわけです。
こちらは、過度に心配する、干渉する、過保護にする。娘は息苦しさを感じる。そのかわり娘は、かなりの、ワガママが通る。
そのワガママさえも 全て応えようとする。そしてまた、過干渉する。無限ループ。

不登校なんかも、このループだそうですね。

心配って、人を思ってする事だと思いがちですが違いますね。

心配なのは、自分の心です。へたすると妄想だったりもしますね。

心配するっていうのは、信頼してないって事です。自分も、相手も。

下記の文章を転載させていただきます。

子供が心配。

能力のこと、

健康のこと、

社交性のこと、

恋愛のこと、

将来のこと、

過去に子供にしてしまったこと、

子供のことが心配。



でも、

それって子供のこと

信頼してないということです。


親に心配されるってことは、

親にすら信頼してもらえないってこと。




そしたら子供は、

「自分ってダメなんだ」 と

無意識に思ってしまいます。


そして、

自信や自己肯定感が持てず、

自主性が育たず、

積極性が持てず、

人の顔色を伺うようになる。


だから、

子供は心配するのではなく、

信頼して見守っていくのがいいのです。


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ところで、

あなたの心配事はなんですか?


ちょっと今から

心配をしてみてください。


お金のこと。

仕事のこと。

身体のこと。

将来のこと。

老後のこと。

両親のこと。

パートナーのこと。

子供のこと。


そして、

なんだかよく分からないけれど、

漠然とした不安・恐れ。


心配をしてみてください。


どんな気分ですか?

身体はどんな感じですか?



自信がなくなり、

不安に襲われ、

テンションが急激に下り、

胸や頭がぎゅっと締め付けられ、

背中が丸まり、

呼吸が浅く速くなり、

のん気に今日を楽しんだことに

急に罪悪感を感じて、

そのツケが廻ってくることが恐くなる。

楽しい思いでも、

楽しみな予定も、

みんな将来の不幸の布石に思えてくる。


自分が無力で選ばれない存在で、

みじめでたまらない。

明日が来るのが恐い。

未来が恐い。

生きるのが辛い。

絶望。





ちょっと

心配をしてみてください。


あなたはどんな気分になりますか?

あなたの身体はどんな感じになりますか?


ちょっと

真剣に心配をしてみてください。




心配するとは、

そういうことです。


心配するとは、

心配をする人が

こういう状態になるということです。


親がこんな状態になる。

子供はそれがイヤなのです。



子供だって心配くらいしたことあります。

自分のこと。

友達のこと。

部活のこと。

不安、

劣等感、

孤独、

恐怖、

死。


子供だって

そのくらい知っているんです。



子供は

「心配」 というものが

どれほど辛く苦しく恐ろしいものか、

ちゃんと知っているんです。


だから、

心配する親が

どれほど辛く苦しく恐ろしい思いをしているか、

それが分かるんです。


だから、

「心配」 、しないでください。







子供は

「心配」 というものが

どれほど辛く苦しく恐ろしいものか、

ちゃんと知っているんです。


親がそんな拷問にかけられているのを見て

嬉しい子供なんていません。


なのに、

親が拷問にかけられているのを見せられる

子供は一体どれくらい辛いでしょう?






親に心配に対して、

自分のせいで・・・ と罪悪感を持つ子供と、

親の自作自演の自己アピールだと反感を持つ子が

いると思います。


でも、

あなたの子供がどっちでも関係ありません。






お母さんの胸が締め付けれ、

背後から何かに追いかけられ、

真っ暗闇の世界に一人ぼっちで

放り込まれる。

助けも来ないし、逃げる方法もない。



お母さんが、

そんな心配と言う名の

絶望的な拷問にかかっているのを

見せ付けられる子供の辛さを想像してください。

自分が子供で、

自分の親が拷問にかけられているところを

想像してください。
















それくらい、

それくらい、

あなたは幸せを願われているのです。





ただそれ一点のみです。

理由はそれのみ。



だからどうぞ、

子供の心配なんてしないで下さい。

自ら進んで拷問台に上がったりなんて

しないでください。


お母さんには幸せであってほしい。

一片の曇りもなく幸せであってほしい。

一瞬の波風もなく平安であってほしい。

一点の陰りもなく守られていてほしい。

それが子供の願いだからです。




ムチャな願いではございますが、

どうぞ、叶えてやってください。

その第一歩として、

「心配」 と向き合ってください。




子供の自信や自己肯定感が損なわれるから・・・

なんて損得勘定からでなく、

「私は幸せを願われている」 という

その唯一一点から 「心配」 と向き合ってください。





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ただね。


ただね、

心配もやっぱり

幸せを願ってのことなのでしょう。


私も母親の言う親の愛が

疎ましくてたまりませんでした。

親の愛と称してさ・・・・、と思っていました。



心配は往々にして

自分の劣等感や欲求不満の

すり替えだったりもします。



でも、

それでも、

心配というのは特別なことだと思うのです。

愛情があってのことだと思うのです。

優しさあってのことだと思うのです。

人は大人も子供も無意識に

それを知っているのかもしれません。



だから

心配されると嬉しいときがあります。

心配されるだけで元気になれるときもあります。




そんな心配をするには、

愛情と優しさと、もう一つ。


「この人は大丈夫」 と、

自分を信じる気持ちです。


この人は大丈夫だ。

私と同じで大丈夫だ。

私と同じで幸せを願われている人だ。

だからこの人も大丈夫。



そう、

この相手を信じる気持ち・・・ではなく、

自分が自分を信じる気持ちなのです。


だからどうぞ、

幸せになってください。




先に、

子供からの愛を受取ってみてください(o^-^o)




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そうなのですよね〜私が楽になることからなのですね。